道なき道をまわりみち

まわり道の多い私の体験談。誰の得になるかもわかりませんが、勝手に書こうと思います。

三つ子の魂百まで

わたしは泳げなかった。

泳ぐというより、そもそも水が怖かった。

幼少期の洗髪のおりに、容赦なくシャワーを浴びせられ、シャンプー混じりの湯が耳から鼻から入ってくるという恐怖体験が全ての礎となっていると推測する。

洗顔にも恐怖する私を見て、母は私を水泳教室に入れた。小学校入学前の事だった。

恐怖の時間は毎週訪れた。

先生達は、私を泳げるようにしようと一所懸命に尽力し、常に優しく、かつ強制的に水に慣れさせようと努力した。

かくいう私は、常日頃から「嫌だ、やりたくない」などと声に出して駄々を捏ねることはない子供だった。たとえ嫌でも無理してやるか、どうしようもない時には、黙ってやらないといった分かりにくい子供だった。

そのため、為すがまま抱き抱えられて無理やりプールに沈められたり、水の中で絵を見せられ、何の絵か当てるといったゲームをやらされたりして恐怖におののいていても、嫌だ、辞めたいとは言えず、日進月歩でのろのろと上達。ついには蹴伸び、バタ足をも習得するに至った。

風呂場で顔を洗うのを怖がっていた我が子がバタ足を成し遂げた姿に母は感動し、私たちは親子共々大変満足した。

私はもう泳げるようになった。これだけできればよかろう。という事で、晴れて水泳を辞める運びとなった。

時は流れて高校生。小学校、中学校と水泳の授業をのらりくらりと何とか乗り切り、バタ足に加え平泳ぎの真似事のような事も出来るようになり、きちんとは泳げないまでも溺れもしないという、ぼんやりした位置に甘んじていた私に、体育教師から耳を疑うような一言が発せられた。

個人メドレー100m」というのである。

しかもいきなり。私は変な平泳ぎしかできない。何も教わってないが、はて?と戸惑う私をよそに「やりなさい!全員だからね!」と言い放つ彼女。おそろしい。高校に入るまでに皆個人メドレー100mを出来るようになっているのがあたりまえというのか。

私はプライドを投げ打って「できないのですが」と申請してみたが、「やりなさいよ!」の一点張りで聞く耳を持たない。

全く教える気はないのか?学校は教育の現場ではないのか?という疑問が首をもたげたが、そっちがその気なら仕方がない…

何かと理由を付けて水泳の授業を休み倒し、体育教師を激怒させるといった結果となった。

こうして最初よりもますます嫌いになって、私と水泳の戦いは幕を閉じた。

授業に出ないなどという、卑怯な事をせず、死ぬ思いをして個人メドレーを自分一人で習得していればよかったのかも知れないが、それよりも一体なぜ学校という場で、彼女が泳げないと言っている私に対して個人メドレー100mといって聞かなかったのか、大人になった今も全く理解できない。

そして同時に三つ子の魂百までというが、子供の頃に「嫌だ、嫌いだ」と思ったことは、少しやった所であまり伸びないものだなと他人事の様に思う昨今、三十うん歳の今でも変な平泳ぎしか出来ないままである。